雑記

理屈としての「運が良くなる方法」がようやくわかってきたような話

こんばんは。種田と申します。

今日のテーマですがスピリチュアルな話ではないです。いたって理屈的な話です。

普通に生活していると「運が良い」とか「悪い」とか感じる場面がいろいろあると思います。

自分は人間の運は人生を通してプラマイゼロで収束すると勝手に思っていた派なのですが、どうも最近そうではないような気がしてきました。

これは悪い意味ではなく、良い意味です。

すなわち、運はその気になればいくらでも良い方向に転ばせられるという話です。

繰り返しますがスピリチュアルな話ではないです。いたって理屈的な話です。

今日は運が良くなるメカニズムという点について可能な限り理屈っぽく書いていきます。

「運が良いとき」は普通よりいいことがあたっとき

まず最初に「運が良いとはどういうときか」を考えてみたいと思います。

答えは実にシンプルで、上にも書いた通り「普通よりいいことがあったとき」です。

アイスを買おうとコンビニに入ったら、買おうと思ったアイスが半額になるキャンペーンをやっていたら、これは「運が良い」と言って差し支えないでしょう。

これは普通であれば、この倍の値段を支払ってアイスを買わなくてはならない想定だったので、この「想定していた普通」より「自分に利益がある」現象が起こったからです。

この「想定していた普通」のラインが人それぞれで違うがために、同じ現象が起こっても人により「運が良い」「悪い」の差が生じます。

もし過去に「80%引き!」のような半額以上の値引きをしているキャンペーンに遭遇していた人が、この半額キャンペーンを見たとしても「今日は半額しかやってないのか、ついてないな」となるケースもあるのです。

手軽に「運が良くなる」方法は2パターン

「運が良いとはどういうときか」がわかったので、これを引き起こす方法を考えてみます。

「普通」のボーダーラインを下げる

これも実に簡単な話です。

「運が良い」が、「普通」のボーダーラインを上回ったときなのであれば、この「普通」のボーダーラインを下げてしまえばいいのです。

先ほどのコンビニの例で言えば、定価で買うと想定していたところが半額だったために「運が良い」と感じたのです。

すなわち、たとえこのアイスが定価で売っているときでも「今日本は不景気なので、もしかしたらアイスが以前より値上がりしてるかもしれない….」と想定しながらコンビニに入れば、定価で売っているアイスを見たときに「運が良い」と感じることができるでしょう。

「運が良くなる場面」に顔を出す

もう1つは「運が良くなる場面」に顔を出すことです。

「運が良くなる場面」ってどこ?という話ですが、これはわかりません。
わかっていればみんなそこに集まるのです。

わからないのなら「とにかくいろんなことに顔を出してみる」のが最も効率的です。

だいぶ極端な話ですが、このアイスの例でも「コンビニに行く」という行為をしなければこのキャンペーンに遭遇することはなく、ここで「運が良い」と感じることもなかったのです。

いろんなところに顔を出してみることで、「運が良くなる」チャンスに巡り会う可能性が高まります。

よく金メダルを取ったアスリートがインタビューで「周囲の人のサポートがあったおかげ」と言っているのを見ます。

これは、このサポートを得るために多くの場所に顔を出し人脈を作ることで、この環境を手にするチャンスを見逃さなかったために達成できたことなのです。

「いろんなところに顔を出す」ことで「運が良くなるチャンスを見逃さなかった」のです。

一見「何もしない」ことはリスクも少なく、運の良し悪しとは縁がない選択肢に見えます。

しかし、「キャンペーンをやっているコンビニに行かなかった」や「恵まれた環境を手に入る人脈を作っらなかった」などの事例があるように、「何もしない」選択肢を取り続けることは、知らず知らずのうちに「運が悪い」道を歩んでしまっていることに繋がっているのです。

「運が良い」の感じ方は人それぞれだけど….

さきほど書いた「普通」のボーダーラインが人によって違うので、「運が良い」の感じ方も人それぞれです。

しかし、「運が良い=幸せである」という価値観はほぼ万人に当てはまるはずです。

ここで例として、とても治安の悪く道端にゴミが捨てられているようなスラム街で育ったAさんと、安全で清潔な金持ちがたくさん住む町で育ったBさんがいたとします。

ここでの「普通」を「生活水準」とすると、AさんはBさんより圧倒的に低い「生活水準」のボーダーラインを持っており、最低限の1LDKの設備が揃った家が手に入れば十分に「運が良い」と感じられ、幸せなはずです。

一方、Bさんはそれよりもずっと高い「生活水準」のボーダーラインを持ってしまっています。
そのため、Aさんが手にしたような家では満足できずもっと良い家を求めるので、「運が良い」機会が減って、幸せにかかるコストも高くなってしまいます。

すなわち「普通」のボーダーラインを下げて「運が良くなりやすい」人生を歩めば、それだけ幸せに満たされた人生を歩めることを意味しています。

逆に言えば「普通」のボーダーラインが高い人は、第三者から見ると一見幸せな人生を歩んでいるように見えるのですが、当人からするとこの幸せのハードルは高く、これを満たし続けることは簡単ではないのです。

このボーダーラインを上げないようにすることも、「運が良い」をキープし続けることの重大な要素です。

おわりに

最後に出したAさんとBさんの話ですが、最強のパターンはAさんの「生活水準」ボーダーラインを持ちながら、Bさんの生まれた育った環境で暮らすことです。

しかし、人間は良くも悪くも慣れる生き物なので、いくらスラム街育ちのAさんでも長期間その環境で暮らせば自然とボーダーラインもBさん仕様に上がってしまうのは避けがたい現象です。

また、一度Bさんの生活を知ってしまったAさんが元のスラム街生活に戻ることもなかなか厳しい面があるかと思います。

金持ちになることや優秀な人間になることが、そのまま幸せには繋がらないので、各々が持つそれぞれの「普通」のボーダーラインをぶらさず、自分の思う幸せを追い求めていくのが良いというのが自分の考えです。

次回の記事もよろしくお願いします。

ABOUT ME
種田
1994年生まれ。男性。 社会人二年目。 某大学大学院修士卒。 学生時代の専攻はコンピュータサイエンス。 今はゲームと旅行とサッカーが好き。 楽に自由に生きるための自分の取り組みを記事にしています。 youtubeでゲーム配信や雑談配信もしているのでお気軽に見に来てください。